本校の創立者である望月軍四郎氏は、明治12(1879)年8月15日、現在の富士宮市にあたる大宮地区に誕生しました。
当時の日本では、明治10年の西南戦争、翌11年の紀尾井町における大久保利通暗殺を経て、各地で国会開設運動が高まるなど、明治維新の混乱がまだまだ尾を引いていました。
その一方で、明治11年に東京株式取引所が設立され、翌12年に教育令が制定されるなど、産業と行政の両面において、着実に近代化が維し進められていた時代でもありました。
岳南地域においては、明治五年の学制発布にともない、軍四郎氏も通った岳賛詞が同七年に開校、翌八年に清水次郎長が富士山麓の大潟村で開墾を始めていました。
また、明治13年には神田川畔に製紙工場が設立されています。これは、和紙の原料となる三椏と良質の水が豊富だったことが大きく影響していますが、岳南地域における工業化のさきがけだったといえます。軍四郎氏も晩年、三椏工業という会社を地元に設立しています。
軍四郎氏は明治26年、14歳で東京へ奉公に出て、株式仲買の仕事を手伝い始めます。そこで自らの才を発揮し、のちに独立。大きな成功を収めることになるのですが、常に胸に抱いていたのは、自分を育ててくれた父母や郷土への感謝の思い。その思いが、大宮商工学校設立という形となって表れます。 |